瞳を閉じて

桜木みなと

夜半に降り始めた雪は、昼を過ぎてもまだ続いていた。
豊邑の街は白く染まり、新年を控えた人々の笑い声が響く。
暖炉には薪が惜しげもなく投げ込まれ、暑いくらいの執務室では姫発が書類をめくっている。
護衛の天化は天井の梁で懸垂をしていた。

トントン。

「誰さ？」
ストンと床に飛び降りて、天化が扉に手をかけた。
「あ、犬」
「犬っち」
バスケットをくわえた哮天犬がシッポを振って首を伸ばしている。
「へえっ、おやつ持ってきてくれたさ」
「ばうっ」
「スピッツも……ここまででけぇと不気味だな……」
「なに言ってるさー、スッゲーかわいいさ」
姫発にカゴを手渡すと、天化は哮天犬に抱きついて真っ白な毛並みをクシャクシャに撫でた。
「ばうあう」
「うわっ、くすぐってえさっ」
顔を舐められて笑いながら首をすくめる。
「ちっくしょ〜……かわいいぜ、やっぱ」
「あ、犬っち一応宝貝さ！王サマは触ったらダメさ」
ニッと笑って哮天犬の背に手を回す。

「カワイイのはてめぇだてめぇ！」

……とは言わなかった。
天化がかわいく見えるのは、自分だけだと思っていたからだ。

きれいな顔を姫発は見慣れていた。美形と言えば揚ゼンだってそうだし、美しいということでは、生前の兄・伯邑考以上にきれいな人間を見たことがなかった。
天化なんか腕は太いは胸板厚いわ、筋肉つきまくって見た目重そうで、けれど背や肩幅はまだ成長途中な感じで、腰も関節も細かった。そのアンバランスな体の上に子供っぽい顔がのっかっている。
造作は一言で言えば女顔だ。朝歌でも指折りの美女だったという母親の面影。だが顔のド真ん中に思い切り目立つ傷がついているし、強情そうな表情は時々過激すぎる。
要するに、どっから見ても男の悪ガキだったのだ。

「お茶淹れるさ。おやつ何？」
「おう……これ、クリスマスケーキ？」
バスケットに入っていたのは、直径10cm程のかわいらしいケーキだった。ホワイトチョコレートのコーティングの上に、砂糖細工のサンタとツリーがちょこんと飾られている。
「疲れてっと甘いモン欲しくなんだよなー」
「俺っちの家系は代々甘党さ」
「マジで？武成王なんか酒飲むだろ？」
「ツマミが杏仁豆腐さ」
「うげ……」

だから天化がかわいいのは目か頭かがおかしいせいだった。
自分の頭がおかしいのではなく、単に本当にかわいいだけだとすると、他の連中にもそう見えていることになる。それはそれで居心地が悪い。

「甘い……けど、ウマい」
「王サマ疲れてたさ？」
「えっナニ、肩もんでくれるって？」
「しょーがないさね」

竹刀だこのついた固い傷だらけの手。

「オイ……言っとくけど力一杯やんなよ。肩骨折したら仕事できねぇぞ」
「王サマが弱っちいのは知ってるさ。だから俺っちが護衛してるさ」

甘いもん食ってお茶を飲む。凝っていた肩がラクになる。そんなことで人間の気持ちはほぐれる。仙道はどうなんだろう？

「肩……揉もうか？」
「別に凝ってないさ」
「ナンか……食うか？」
「いま食ったばっかりさ」

「キス……しようか？」

肩の上で掌が固まる。なに……口走ってんだオレ……。
冗談だ冗談っ、今のナシ！
「……聞かなかったことにしとくさ」
振り向いて見上げると、天化の顔は暖炉の火より赤かった。

「ごめん。言い方間違えた。……キスしていいか？」
「何……言ってるさ」
「答えろよ」

「……困るさ。護衛ができなくなる」
「何で？オレのこと好きになればいいじゃん。好きになりゃもっと守りたくなるだろ」

天化は駆け引きができない。だからこう答えるしかなかった。
「キスしたら護衛はできない。護衛がいるならキスはなしさ。俺っちはどっちでもいい……王サマが選ぶさ」
「どっちでもいい……？それ、どういう意味だよ。おまえ誰に言われてもそういう答えすんのかよ」
「言ってることが分からねえさ」
「どっちでもいいっつって誰にでもキスさせんのかよ！」

「したことないから分からないって言ってるさ。イヤかイヤじゃないか分からない。王サマがしたいならしてみるさ」

こ、こいつは……。
やっぱ、俺がつかまえといてやんなきゃダメだ。
とりあえず、ファーストキスは奪っといてやることに決めた。

「目、閉じて」
「ナンで」
「閉じるもんなんだよ」

大きな目がスッと閉じる。頑固そうな眉がちょっと寄る。片手で触れて頬を包み込むと、鼻がぴくんとふくらんだ。
か、かわいい……。つーか、美人だ、コイツ。すごく、きれいだ。まるで窓に外に降る新雪のように。───恋人と一緒に。

「ばうっ！」
ハッとして我に返る。うっかり……犬がいるのを忘れていた。
「これ……揚ゼンの犬だろ」
「今の聞いてたさ……？」

「……なあ、天化」
「ああ。王サマには護衛がいると俺っちも思うさ」
犬に見られてたからじゃない。
四六時中一緒にいてメシを一緒に食って、うっとおしくない相手はそういない。目の前で毎日筋トレやられて、それでカワイイって思えるヤツも。
キスぐらいで逃がすのはもったいないよなっ。
「そうだ、王サマ！街に遊びに行くさ。たまには息抜きも必要さ。今日だけは見逃すから」
「ええっ、いいの？」
「俺っちに……したくなるなんて、ストレスたまってる証拠さ。ナンパでも何でもしてくるさ！」
頬を赤くしてプイとあっちを向く。
そうじゃないかもしれないと思ったけど、今はそういうことにしておいた。まだまだずっと、側にいて守ってもらうつもりだったから。
「うっし、なんてったってクリスマスだもんなっ。今日は騒ぐぜっ！」

その後。

「かっわいいよな〜、姫発っちゃんの護衛」
ブッ！
飲みかけていた酒を思わず吹き出す。
「うわっ、きったねーな！何すんだよ」
クリスマスイブ、豊邑のプリンちゃんたちはめーいっぱい着飾って街に繰り出していた。
恋人と一緒に。
結局城下の馴染みの酒場で、すでに出来あがりかけていた飲み友達とクダを巻くことになったのだった。
「てっ……天化がナンだって？」
「へー、天化って言うのか〜。年いくつ？」
「……マジ？あいつ懸垂毎日1万回だぜ？向かいの娘の方がずっとカワイイじゃん」
「女の子みてーとか言ってるわけじゃねーよ。男は男でかわいいんだよ」
「…あんた…実は両刀だったとか」
「あははは、まさか。……ところであの子実家どこ」
「しっかり両刀じゃねぇかよっ」
姫発が見ているのに気がついて、天化が近よって来る。
（バカッ！今こっちくんなよっ）
「王サマ、何か呼んださ？」
「姫発っちゃんの護衛毎日大変だろ？たまには息抜けよ、ほら酒っ」
「ありがとうさ。でも俺っちあんまり飲まないから……王サマ、どっか具合悪いさ？」
自分の目だけがおかしいわけではないと知って、頭痛を起こした姫発だった。

ワンサイドなのは甘々なので許してくれ。つーか変だね…変だよこれ…一体どこがいけなかったんだろう…（慣れないことをやるからだ…）。

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