「明日はもう結婚式なんだね…早いもんだね」
しみじみと天禄はうなずいた。黄飛虎は上の空な風情で、黄家は嫁入りの支度にわらわら追われている。
なんたって天下の武王の結婚式、十日間に渡って行われるらしい。
ちょっと出てくるわ、黄飛虎はぽつりと言った。
「行ってらっしゃい」


「おお、武成王」
「太公望どの」
西岐城についた黄飛虎は、太公望とばったり顔を合わせた。太公望もまた、式次第の書かれた竹簡をいくつも抱えている。
「大変なモンだな」
「うむ。本人がまだ式次第を把握しておらんからな」
「本人って…武王か？」
「とりあえず明日の分だけでも、五分で頭に入れて頂きます」
周公旦が後ろから会話に加わる。
「武王に用か？」
「え…ナンで」
太公望の言葉に黄飛虎は面食らう。なんで判ったんだろう――
「そうなんですか？小兄様でしたらお部屋にいらっしゃいますが」
「…そっか」
「なにかお急ぎですか？」
「…ってゆーかな、なんでもねーよ」
黄飛虎は手を振る。つかつか歩き出した。
「花嫁の父としては、やっておかねばならぬことがあるか？」


黄飛虎は振り返る。太公望に向かって、にっと笑った。
「手加減はするからよ」


いよいよ明日か、姫発は思った。
「なあ、天化っ」
声がうわずる。なにさ？天化は落ち着いている。ように見えた。
「引っ越しの準備とかもう出来てんのか？」
「ほとんど終わったさ」
新居を造ってもらった。ほとんど気分の問題だったが、やっぱ新婚さんになるわけだし！西岐城のすみに新居を造ってもらったのだった。
「明日なんだよなっ。…やっぱ、緊張するモンなんだな！こーゆーのって」
手に汗握る風情の姫発は、やっぱりひどく嬉しいのだろう。
それはそうだ。道のりは長かった。天化と決闘して、そのあと１週間、今度は武成王と……

「王サマ」
――え？

天化が呼んだ。あの日のことを思い出してちょっと苦笑いになった姫発は、呼ばれたのに気づくのにちょっと間があく。
「え、ゴメン。何？」
「………」
「え…なんだよ？なに？」
天化はちょっと言い淀んだみたいだった。なんだろう？姫発はもう一度天化を促した。
「これからは、王サマのことは俺っちが守るさ」


「王サマはなんの心配もいらねーから。王サマになにがあっても、俺っちがちゃんと守るさ」


………なんだろう。
というかそういうのは普通お嫁さんじゃなくて旦那さんの方が言うんじゃないだろうか、一般論では。まあ、姫発と天化とどっちが強いかと言ったらそんなのは比べるまでもない。そうなんだけど、なんなんだろうか。
「天化……」
でも、そんなふう、そこまでに思ってくれるんだったら、それはそれで、すごく嬉しかった。
けど――出来ることなら、守りたい。強いとか弱いとか、そういうことじゃなく。
「めーわくかけねーよーにするからさ。お前に」
「ナニ言ってるさ！」
二人で顔を見合わせて笑った。



この状況にはあまり関係ないかもしれないが、ちなみに、天化のこの発言の直接の原因は太公望にある。軍師は天化を呼びつけて言ったのだ。
「天化よ、これからはお主の責任は重大だ」
「？」
「考えてもみよ。武王は、お主の父と、お主自身を破って、お主を嫁に取ったのだ。近隣諸国にこの話が伝われば、武王の武名はとどろくであろうな」
太公望はしみじみと桃をむきながら語る。天化は黙って聞いていた。
「ただでさえ武王は、新たな国の旗印として矢面に立たざるをえん。どんな腕自慢が武王を狙うかもわからんな…これからは」
そこで軍師は厳かに言った。
武王に挑む者、また武王の命を狙う者があれば、お主がそれを防がねばならん。
それがお主の役目だ。
「スース、心配いらねーさ。王サマのことは、俺っちが守るさ」



「なあ…天化」
二人、部屋で向かい合わせに座っている。姫発が口を開く。
「ナニさ？」
「あのさ、今更なんだけど」
「なにさ？」
そうだ、今更だ……けど、ちょっと聞いておきたい。
「なんで俺でいいと思ったわけ？」



天化は応えた。ごくあっさりと。
「女の子は嫁に行くモンさ」
「は？」
そ…そーゆーモンか？そりゃ、そうかもしんねーけど。
でも。
「王サマだったら、いいと思ったさ」
「……え……」
「嫁にもらってくれて、ありがとーさ」
天化は姫発を正面に見てそう言った。姫発は面食らう。
ここで面食らってもどうかとは自分自身でも思ったが、天化の言葉はいつも、どこまでも飾りがなくて、ストレートだった。
「―――」
「バカとか言ってゴメン」
そう言って天化はぺこりと頭を下げる。
そうだ、開口一番「なにバカ言ってるさ」だった。
けどそんなのは、もうどうでもいい。
「天化……」
なんて言おうか――……



「武王！失礼するぜっ」
「げ、武成王！」
ちょっといい雰囲気になるとナンで現れるんだよー！？姫発は思わずにはいられなかった。
けど、お父さんを怒らせたっていいことはなにもない。
「オヤジ？なんかあったさ？」
「おう天化、武王に話があるんだよ。オメーはどっか行ってな」
「…なにさ？」
「男と男の話し合いってヤツだよ」
黄飛虎は姫発をちらっと見る。なにが言いたいのか、判ったような気がして、姫発は天化に言ったのだった。
「いいよ、天化。俺も武成王に話あるしさ」
「…そうさ？」
じゃあ俺っちお茶でももらってくるさ。天化はばたばたと出ていった。



「…なんだよ？」
何が言いたいのか、判らないでもない。けど、自分から言い出すこともない話だった。姫発は黙って、黄飛虎の次の言葉を待つ。
黄飛虎は黙って姫発を見た。一週間前のことを思い出す。
「……花嫁の父として、一発殴らせてもらえませんか」