翌日の晩のことだった。天化はなにも言わないで、メシも味噌汁も作ってこなかった。そのかわり、賭けの話ももう持ち出さなかった。メシが作って欲しいわけでもなかったから、別に構わない――というか、さすがに天化も落ち着いたか。

天化はちょっとうわのそらで、時々はたと何かに気がついてはムッとした顔をして、なんなんだろうと思ったけど、特に話しかけることもしなかった。


そもそも天化は、俺をなんだと思ってるんだろうか。というか――そうだ、俺は最初っから、「なにバカ言ってるさ」と天化がそう言うモンだと思ってた。絶対断られると判ってて、ワケもわからず「しようか」なんて持ちかけた。なにバカ言ってるさ王サマ。そう言われると思ってた。はじめから。けど違った。

俺以外の奴に同じ話をされたら――たとえば楊ゼンとかに言われたら、いや楊ゼンはそんな話はしないだろうが、天化はどうしてたんだろう。
ぐるぐる回って、俺はバカだと思い知って、ちょっと天化と目が合った。
天化はやっぱりぼんやりしていて、姫発と目線を合わせてもやっぱりうわのそらだった。
なんとなく、聞いてしまった。
「…味噌汁は？」
作って欲しいわけじゃない。別にそんなの構わなかった。
天化は露骨にショックを受けたような顔で、一言ぽつりと言った。
それを聞いて、姫発は死ぬほど後悔した。
「楊ゼンさんに聞いたさ」
何を？なんて聞くまでもない。
思わず姫発は身を乗り出しかける。息を呑んで、大きくひとつ息をついて、そのままなにも言えなかった。


「お前、天化になにをどう教えたんだよ？！」
翌朝のことだった。姫発は楊ゼンをとっつかまえて後ろ首をひっつかんで怒鳴り立てる。振り返って、楊ゼンは呆れたような顔つきになる。
「あなたこそ、天化くんに何を吹き込んだんです？」
「うっ……」
姫発は絶句する。なんて言っていいのか、イヤ、言えるわけがない。
「こっちだって驚きましたよ。「男同士だとどうやるさ？」なんていきなり聞かれたんですからね」
武成王にも、太公望にも聞けるわけがない。楊ゼンを選んだ天化の人選は間違ってはいなかった。けど。
「なに教えたんだよ？」
「ええ、それは…簡潔に判りやすく余すところなく」
はあ？！
「お前、子供にそんなこと教えていいと思ってるのかよ！？」
「子供に嘘を教えてどうするんですか？」
いつのまにか教育論になりそうだった。
いや、そんなことはどうでもよくて、姫発は、あんな相手に、あんな賭けを仕掛けたことを今更ながらに悔いていた。今となっては子供扱いしているような相手に。

楊ゼンが何を言ったのか知らないが、こんなことで天化にトラウマを作りたくなかった。昨日の天化のショックの意味が判ったような気がする。俺のことなんてどう思ってくれてもいい。そんなことはどうでもいいけど、天化をこのまま放っておくことだけは姫発には出来なかった。

くるりと姫発はきびすを返す。武成王府に行こうと思った。天化に会いに行こうと思った。
「どこに行くんですか？」
すかさず、楊ゼンに声をかけられた。
「え…」
「今日も一日、腐るほど仕事があるんですよ？」